父のなきがらと対面した母はその瞬間、大きな声をあげた
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第四十一回
■葬式に人が集まるか?
脳出血で救急搬送され、胃ろうで命をつないだ父は、数ヶ月後に息を引き取った。
父が亡くなったこと。それを誰にどうやって連絡すればいいのか見当もつかなかったが、教師だった父には教職員の組合のネットワークがあった。遺族が何もしなくても、葬儀には多数の方々が集まってくれた。こんなとき、社会的にまっとうな職業と、フリーライターという職業の差を感じてしまう。
おそらくぼくの葬式は、誰にも知らせなければ、誰も来ないだろう。しかし、まっとうな職業なら、誰に知らせなくても、あるいは誰かひとりに知らせれば、人が集まる仕組みになっている。
心配だった母も、どうにか葬儀に参列できた。車いすに座り、前半だけの短い時間ではあったが、訪れた人たちに顔を見せて、あいさつすることはできた。
がんが背骨に転移して、上半身を起こせなくなった母は、結局、約半年もの長い期間、病院のベッドの上で寝たきりの生活を送った。